じゃあどこにあるのか?
全く分からない。
肉体には肉体の記憶しかない。
幽体は生まれる前の記憶も持っているらしい。
自分とは別に本体なるものが存在していて、あの世にいるらしい。
普段何をしているのか?何も知らない。
霊的な自分をどれだけ知っているだろうか?
本当の事を言うと、生きている今だからこそ、契山館に来て欲しい。
死後の下の世界は想像を絶するような恐ろしい霊魂がいて、逃げたくなるような毎日が待っているのに、霊魂学はなかなか人に受け入れられない。
それはこれまで信じてきた事を否定するからだと言える。
このまま放っておけば霊的な状態が悪くなる。それは誰も信じたくないし、知りたくもないことだろう。
立ち止まるには勇気が要る。
契山館は霊魂学や霊的修行を教えてくれるから、宗教的なことを言う団体と言える。
だが入ってみれば、拍子抜けするほど普通の人達だったりもする。
己の未熟を自覚し、謙虚であり、それでいてクールでも暖かくもある。
なぜ、ここを本物だと思えるのか、確信できるのか、それは神伝の法という特別な修行法によって、直感できるようになっていくからだと言えます。
それは偽物が分かるようになる感覚と似ています。
確実に自分以外の、物質でない生命体がいる。自分の力だけでは、こうはならない。心を強くしたとか、笑顔を増やしたとかそういう精神的なことではなく、確実に霊的な、奥の部分をも変化させる。そうしたことでしか、人は真に変わることはできないのです。
この世が低い幽気によって穢されるのであれば、霊気を降ろしたい。
霊気なら穢されない。霊気でいっぱいにしてみたらどうなるだろうか?
霊体の霊魂が降りやすくなるかもしれない。だけど、人が足りてない。
霊気を引き付けるには成長した霊体が要る。
人に宗教の話はしづらい。ましてや職場の中では難しい。
神のことは分からない。それは仕方ない。だけど指導霊団のことはどうだろう?
考えてみれば何も知らない。何名いらっしゃるのか、どのような方達なのか、いつも何をして過ごされているのか。一切知らない。
確実なことと言えば、昔受けた指導霊調査、守護霊調査で書かれていたことのみだ。
だけど、考えてみれば幽体、霊体は視覚しているのかもしれない。何らかの交流もあるのかもしれない。
そうなると知らないのは肉体の表面意識だけなのかもしれない。
蚊帳の外。
表面意識はひとりぼっちな気分になった。