人間は寝ないと死ぬ。
脳を休ませないと仕事にも差し支える。
仕方なく寝転ぶけれど、
夢では、普段生きている時には覚えがない感情が出てきたりする。
どこから生まれているのか、よく分からない。
2026年1月25日日曜日
2026年1月11日日曜日
無題
一生懸命にnoteに記事を載せているけれど、人の心に響くかどうかは難しい。
なにしろ、言っている人間が全然立派じゃない。
見所もなく、能力も低い。その上頭が悪い。気遣いもできない。
それでも、塞ぎ込んでばかりもいられない。
神伝の法がもしこの世から無くなる時、それは誰も行じなくなった時だからだ。
それだけは起こって欲しくない。2000年も前から準備されていた大切な救いの法がやっと、地上に現れたのだから、なんとしても、後世に残し、苦しむ誰かの目に止まるように、求めた人が得られるように、しなければ居られない。
つなげて行かなければ、申し訳が立たない。
自分を殺す。殺してでもつなげなければ耐えられない。
それは、無価値とも思える最悪な己と向き合う苦しみになる。
それでも、諦めたら駄目だと思う。
神が見ていなくても、行くしかないのだから。
2026年1月3日土曜日
終わる正月
決して立場を代わることも、後を継ぐこともできない契約の前に、私の悩みなど、食べ過ぎた腹痛ぐらいのものでしかないように思う。
かんたんに立ち入れるようなものではないし、そもそも神体もない。
そうなら、せめて霊体を成長させるしかないように思う。
凡人だということだけがよく分かる。
2025年12月28日日曜日
道の途上にて
人生において、その後もう二度と会うことがないのに親切にしてくれた人達がいる。
彼等の死後はどうなるのだろうか?
幽体の状態に応じた世界にしか入らないと思われる。
自分だけ霊的に進歩していてももう何も面白くも楽しくもない。
なぜこんな気持ちになるのか?
人などどうでも良かったら、そもそもキリストも降りては来なかっただろう。
魂とは、生きている間にその本質を表そうとすると、人間社会では適応しにくい心理状態を生むのかもしれない。今まで何度も過去世があった、その時代ごと自分は霊的に進歩するような人生を送っていなかったように思う。
さて、どれだけ念を出し、誰かを傷つけてきたか。
この世を穢してきた人間の一人が自分であろう。
人を責められるか?
声が大きくなってくる。
肉体の表面意識は針のムシロとなる。
2025年12月26日金曜日
一年が終わろうとしています
今年は、結構色々ありました。
落ち込むことも、辛いこともたくさんあったけれど、充実した日々もありました。
霊魂団と共に毎日を過ごせたことが良かったです。
今年は自分の不出来さを痛感する年でした。
2025年12月10日水曜日
神霊
いつか帰りたい場所がある。
でも、いつかでいい。
今はやるべき事がある。
精一杯生きること、死ぬならそれで、仕方ない。
いつかは死ぬのだから。
なぜこんなにも、霊的なことは拒否されるのだろう?
自分の正体でもあるのに。
それを否定して、何が幸福というのか。
2025年12月6日土曜日
高度な修行法とは
高度な修行法とは、滝に打たれることでも真冬の水に入ることでもない。
神の御前に出られる自分になるよう、高貴な霊魂方に来ていただき、行う修行法である。
それは契山館にしかない。
高貴な霊魂方が関わらない修行法は弊害しかない。
幽体が進歩しないばかりか、低い霊魂に寄られるのではやらない方がましだからと言える。
だけど、多くの人は興味がない。
この世のご利益、願望達成を謳わない契山館は人気がない。
仙台に行った時、某団体などの立派な建物がいくつもあった。
そして、人が大勢歩いていた。
こんなにも人間がいるのに、見向きもされない気分になった。
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イエス師、ラ・ムー師のまなざしについて考える。 未開の地に一人降り立った時も、きっと神と人にいつも向いていたに違いない。 そしていつも真剣だったに違いない。
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神のことは分からない。それは仕方ない。だけど指導霊団のことはどうだろう? 考えてみれば何も知らない。何名いらっしゃるのか、どのような方達なのか、いつも何をして過ごされているのか。一切知らない。 確実なことと言えば、昔受けた指導霊調査、守護霊調査で書かれていたことのみだ。 だけど、...
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この世が低い幽気によって穢されるのであれば、霊気を降ろしたい。 霊気なら穢されない。霊気でいっぱいにしてみたらどうなるだろうか? 霊体の霊魂が降りやすくなるかもしれない。だけど、人が足りてない。 霊気を引き付けるには成長した霊体が要る。 人に宗教の話はしづらい。ましてや職場の...