霊的修行には、自分で気づかなければ意味のない事もある。
継続にはどうしても熱意が要る。
雑念もある。
その中で最善を見つけるしかないのだと思う。
現代は誘惑が本当に多い。
五感があるから、耳を奪われたり、目を奪われたりする。
しかし一瞬一瞬が、勝負と思うしか無い。
霊的修行には、自分で気づかなければ意味のない事もある。
継続にはどうしても熱意が要る。
雑念もある。
その中で最善を見つけるしかないのだと思う。
現代は誘惑が本当に多い。
五感があるから、耳を奪われたり、目を奪われたりする。
しかし一瞬一瞬が、勝負と思うしか無い。
現在、1つのサイトを運営しておりますがもう1つ、増やそうと構想しております。
正直難しいことはよく分からないのに、それでも語ろうとしている自分がいるため、書いている状況です。
記憶力も悪く、使いづらい身体です。
インフルになった時は具合が悪すぎて、あまり食事がとれませんでした。頭痛があるので行法も集中できなかったりしたので、普段行っているものを減らして、少しお休みしていました。
しかしそれではやはり、何かが鈍ってしまうのを感じました。
それでも治るまで寝ているしかありませんでした。
以前、あまり行法をやらなくなってしまった時期がありました。
その時の自分は方向性を間違えていたと思います。
もうそんな自分には戻りたくありません。
地上の時間はあっという間に過ぎてしまう。
小さい頃は遅く感じていた時間の流れも大人になると、一ヶ月はあっという間、1年すら早く感じる。
まだ働いているとはいえ、人生も折り返し地点に差し掛かっている。
以前、アドバイスいただいたことを着実に実現しなければと感じている。
しかし、肉の頭でいくら思考してもどうにもなることではない。
生涯頑張ってみて、できるかどうかだと思う。
しかしまだ、分からないことが多すぎる。
一番下でいいと思う。
しかしその下っ端の仕事すら、まともに出来ていない。
一生懸命にnoteに記事を載せているけれど、人の心に響くかどうかは難しい。
なにしろ、言っている人間が全然立派じゃない。
見所もなく、能力も低い。その上頭が悪い。気遣いもできない。
それでも、塞ぎ込んでばかりもいられない。
神伝の法がもしこの世から無くなる時、それは誰も行じなくなった時だからだ。
それだけは起こって欲しくない。2000年も前から準備されていた大切な救いの法がやっと、地上に現れたのだから、なんとしても、後世に残し、苦しむ誰かの目に止まるように、求めた人が得られるように、しなければ居られない。
つなげて行かなければ、申し訳が立たない。
自分を殺す。殺してでもつなげなければ耐えられない。
それは、無価値とも思える最悪な己と向き合う苦しみになる。
それでも、諦めたら駄目だと思う。
神が見ていなくても、行くしかないのだから。
決して立場を代わることも、後を継ぐこともできない契約の前に、私の悩みなど、食べ過ぎた腹痛ぐらいのものでしかないように思う。
かんたんに立ち入れるようなものではないし、そもそも神体もない。
そうなら、せめて霊体を成長させるしかないように思う。
凡人だということだけがよく分かる。