いつか帰りたい場所がある。
でも、いつかでいい。
今はやるべき事がある。
精一杯生きること、死ぬならそれで、仕方ない。
いつかは死ぬのだから。
なぜこんなにも、霊的なことは拒否されるのだろう?
自分の正体でもあるのに。
それを否定して、何が幸福というのか。
2025年12月10日水曜日
神霊
2025年12月6日土曜日
高度な修行法とは
高度な修行法とは、滝に打たれることでも真冬の水に入ることでもない。
神の御前に出られる自分になるよう、高貴な霊魂方に来ていただき、行う修行法である。
それは契山館にしかない。
高貴な霊魂方が関わらない修行法は弊害しかない。
幽体が進歩しないばかりか、低い霊魂に寄られるのではやらない方がましだからと言える。
だけど、多くの人は興味がない。
この世のご利益、願望達成を謳わない契山館は人気がない。
仙台に行った時、某団体などの立派な建物がいくつもあった。
そして、人が大勢歩いていた。
こんなにも人間がいるのに、見向きもされない気分になった。
2025年11月22日土曜日
真実が世に出ることを望まない人と霊魂
多くの人は霊魂学の内容を真実と思っていない。これまで培ってきた社会常識で判断し、簡単に捨て置いてしまう。霊的修行で検索しても、上に出てくるのは契山館の修行法ではない。このブログも霊的修行の内容で書いているが、検索に全然出てこない。
宗教に入りたい、と検索すれば、出てくるのは批判のような記事ばかり。
真面目に霊的修行を学びたい、と検索する時、契山館がトップに出てきて欲しいと思う。
声が大きいほうがどうしても目立ってしまう。
お金がある団体がどうしても上位に来てしまう。
超能力ではなく、霊能力でもなく、霊視でもなく、願望達成でもなく、人の本質を探求する、真面目な学問である霊魂学、霊的修行法(神伝の法)を求めて欲しい。
2025年11月15日土曜日
改名しました
これまで、「カナリアと仲間たち」という名で書いておりましたが、このたび「カナリアと師匠たち」という名前に改名しました。
今更ですが、これまであまりにも何も知らないということを知らなかったためです。
修行法の指導霊は、私の先生でもありました。
自信を持って確実に言えることは、自分が一番下の人間であるということです。
やっと今日、本当の意味で霊的修行がはじまったように思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
2025年11月14日金曜日
神伝の法にすべてがある
本当のことは、いつの時代もなかなか人に浸透していかない。
進めば確実に崖から落ちる道でも、有名な人が「自分はこの道を行く」と言えばついていってしまう人が大勢出る。
どんなに地位があっても、お金があっても幽体がボロボロだったら確実に下の世界へ行ってしまう。
大勢が信じているから本当なのではない。
法則は心とは関係ない。
霊的修行法をしていると、高貴な霊魂と人間とのあまりの霊的な差を、ほんの少しだけ感じてしまうことがある。
物を言う権利すらなく、頭を下げるしかない存在がいる。
肉体を着て、今や人は本当に高貴な存在から遠ざかってしまった。
幽体を健全にしなければ、自分の人生を歩くことはできない。
霊体を成長させれば、本の内容の理解の仕方も変わってくる。
2025年11月6日木曜日
高級霊魂から、地上はどう見えている?
「霊魂イエス」(Amazon発売中)によると、イエス師が地上を去って肉体を捨てた霊魂となった時、下の世界に降りてみると暗かったという。
霊的な光の少ない世界に行くほど、暗くなっていくらしい。
そうなると、地上は今どう見えているのだろうか。
まさかとは思うが真っ暗闇ということはないだろうか。
もし自分なら、そんな世界に居るのはかなり苦痛を感じるのではないかと思う。
霊的なオーラがある人間の数が非常に少ないから、そうした人がろうそくの火のように見えているのかもしれない。
肉体の目であれば朝も昼も感じられる。
霊魂はまた違う。
低い霊魂にとっては居やすい世界になってきているのかもしれない。
そうなると、高級な霊魂にとっての地上はつらいのではないかと思う。
汚い空気の中に入っていくようなものだろうか?分からない。
ただ、彼等は遊びに来ているわけではない。
いくら神伝の法の霊的修行者が少ないとは言っても、真剣でない人からは離れていくだろう。
2025年11月3日月曜日
このブログについて
なぜこのブログを作成しているのか?
おそらく、このブログを目にした人には何を書いているのか、よく分からない部分があるかもしれません。
このブログの作者は神伝禊法(しんでんみそぎほう)、神伝鎮魂法(しんでんちんこんほう)と呼ばれる霊的な修行法を日々行っています。
霊的な身体の進歩を目指した修行体系のため、長く行っていると一般の人と少し異なる見解や見方が出てくることがあります。
霊的な進歩の途上で、だからこそ出てくる言葉があると思っています。
その痕跡を、後に続く人たちや、この地上に残してゆきたいと思っています。
公開できる範囲で、なるべく率直に記したいと思っておりますため、普通に読むと意味不明であったり、つまらないと感じるかもしれません。
いつか、読者の方が真実を求め、正しい霊的修行の道を求めた時の道しるべになれれば幸いです。
更新は不定期になりますが、読者の心に少しでも、響く何かがあればいいなあと思います。
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