一生懸命にnoteに記事を載せているけれど、人の心に響くかどうかは難しい。
なにしろ、言っている人間が全然立派じゃない。
見所もなく、能力も低い。その上頭が悪い。気遣いもできない。
それでも、塞ぎ込んでばかりもいられない。
神伝の法がもしこの世から無くなる時、それは誰も行じなくなった時だからだ。
それだけは起こって欲しくない。2000年も前から準備されていた大切な救いの法がやっと、地上に現れたのだから、なんとしても、後世に残し、苦しむ誰かの目に止まるように、求めた人が得られるように、しなければ居られない。
つなげて行かなければ、申し訳が立たない。
自分を殺す。殺してでもつなげなければ耐えられない。
それは、無価値とも思える最悪な己と向き合う苦しみになる。
それでも、諦めたら駄目だと思う。
神が見ていなくても、行くしかないのだから。
2026年1月11日日曜日
無題
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