2025年12月28日日曜日

道の途上にて

 人生において、その後もう二度と会うことがないのに親切にしてくれた人達がいる。

彼等の死後はどうなるのだろうか?
幽体の状態に応じた世界にしか入らないと思われる。

自分だけ霊的に進歩していてももう何も面白くも楽しくもない。
なぜこんな気持ちになるのか?
人などどうでも良かったら、そもそもキリストも降りては来なかっただろう。
魂とは、生きている間にその本質を表そうとすると、人間社会では適応しにくい心理状態を生むのかもしれない。今まで何度も過去世があった、その時代ごと自分は霊的に進歩するような人生を送っていなかったように思う。
さて、どれだけ念を出し、誰かを傷つけてきたか。
この世を穢してきた人間の一人が自分であろう。
人を責められるか? 

声が大きくなってくる。
肉体の表面意識は針のムシロとなる。

2025年12月26日金曜日

一年が終わろうとしています

 今年は、結構色々ありました。
落ち込むことも、辛いこともたくさんあったけれど、充実した日々もありました。
霊魂団と共に毎日を過ごせたことが良かったです。
今年は自分の不出来さを痛感する年でした。

2025年12月10日水曜日

神霊

 いつか帰りたい場所がある。
でも、いつかでいい。
今はやるべき事がある。
精一杯生きること、死ぬならそれで、仕方ない。
いつかは死ぬのだから。

なぜこんなにも、霊的なことは拒否されるのだろう?
自分の正体でもあるのに。
それを否定して、何が幸福というのか。

2025年12月6日土曜日

高度な修行法とは


高度な修行法とは、滝に打たれることでも真冬の水に入ることでもない。
神の御前に出られる自分になるよう、高貴な霊魂方に来ていただき、行う修行法である。
それは契山館にしかない。
高貴な霊魂方が関わらない修行法は弊害しかない。
幽体が進歩しないばかりか、低い霊魂に寄られるのではやらない方がましだからと言える。
だけど、多くの人は興味がない。
この世のご利益、願望達成を謳わない契山館は人気がない。

仙台に行った時、某団体などの立派な建物がいくつもあった。
そして、人が大勢歩いていた。
こんなにも人間がいるのに、見向きもされない気分になった。